釜石へ

北を目指す旅も3日目。昨日から津波の被害が大きかった沿岸部を走っているので、慰霊の旅と言ってもいいかもしれない。気持ちも脚も重いが今日を北を目指す。

まずは女川へ向かう。道路沿いには、津波で壊されて今は基礎だけの更地がずっと続く。いくつかのアップダウンを越えて、女川の市街地が見えた瞬間、脚が止まった。緩斜面に沿って続く住宅の跡。言葉を失う。津波で横倒しになった鉄筋コンクリートの建物がまだ残る。人は誰もおらず、重機とトラックのみが動き回っていた。ここに町があり、沢山の人が生活していた事を示す面影はない。

海沿いを進むと、そこには美しい三陸の海岸が続いていた。雄勝町でも街は跡形なく消え、ただ鯉のぼりが誰もいない町の空を泳いでいた。北上川を渡ろうとしたら、壊れた建物が見えた。学校かな。近くへ行ってみると、大川小学校だった。沢山の生徒と先生のなくなった場所だ。河口から5kmも離れた場所だけに、当時は想定外の出来事だったのだろう。もちろん、亡くなった人々の事を考えると、想定外という言葉では済まないのかもしれないが。冥福を祈るのみ。

その後も南三陸の消えた街を辿って北上する。時折雨がぱらつき、気温は14度くらい。かなり寒い。やっと見つけた仮設のコンビニで休憩。そばを走る気仙沼線津波で橋が流され、復旧は当分見込めそうにない。いや、鉄道として復旧する日は来ないのかもしれない。とにかく、川に架かる橋のほとんどが津波で壊されているという現実が、この場所で何が起きたのかを物語っている。

バイパスを通ってしまったので、気仙沼の市街地は通らず、アップダウンの多い道を走って陸前高田へ。最初に目に飛び込むのは、対岸から橋を渡って市街地跡へと続く土砂運搬用のコンベア。あまりの規模に絶句。復興工事は誰のため?吊り橋の下にある仮設のガソリンスタンドとは対照的だ。せっかくなので、奇跡の一本松を見に行くが、単なるモニュメントで何の感慨も起きない。それよりも、その奥に見える壊れた建物の方が多くを訴えている。

この後もアップダウンが多かった。標高差200m以下の峠をいくつか越える。日没前には確実に目的地に着けるので、ペースを落としてのんびり上る。いや、疲れて速く走れないだけだが。最後の上りを越えて、釜石へ下る。今日はここまで。走行距離は191km位。獲得標高は2400mくらいかなあ。明日も200km以上。とにかく前へ進むのみ。