水路跡巡りポタ

hiroakim2011-11-05


 最近、密かなブームとなりつつある川や水路の跡探し。iPhoneのアプリなどで、簡単に古い地図が閲覧出来るようになったおかげもあると思うが、想像力を働かせながら現在の地形を見ていると楽しくなる。

 そんな訳で、さまざまな歴史の名残を探しながらポタポタ走る企画をしようと思い、試走を始めて・・・何度目だろう。ようやく、何とかルートが出来上がってきたかも。

 まずはスタート地点の亀戸まで自走。適当に交通量が空くなさそうな道を選んで走っていたら、随分と遠回りをしてしまい、予想よりもスタート時間が遅くなってしまった。

 前回と同様に、まずは都電の専用軌道跡をしばらく走る。今はただの緑道なので、全然面影がないのが残念だけど。明治通りまで出たら、そのまま横断して横十間川沿いを少し走る。親水公園として整備されているけど、江戸時代から水路として使われてきたんだから、ちょっと違うんじゃないかという気がしないでもない。

 南砂の専用軌道跡へはすぐに行かず、まずは元八幡へ。富岡八幡宮の前身らしい。非常にこぢんまりとした神社だけど、ちゃんと浅間神社富士塚もある。でも、この富士塚は昭和になってから水害で流され、再現されたものらしい。それに、入山規制されているし。ちょっと残念。その後はもちろん八幡橋、昔の弾正橋を渡って富岡八幡宮へ。目的はもちろん、橋なんですが(笑)

 木場を抜けて深川へ。まずは清澄庭園へ。三菱を創業した岩崎家によって、荒廃していた庭園を整備したものらしい。回遊式の庭園で園内をぐるっと回って景色を楽しむ。なかなか良いねえ。ただ、餌をもらいすぎて巨大化した鯉が、大きな口を開けて餌をねだるのは止めて欲しい(笑)

 深川といえば松尾芭蕉俳人としてはもちろん、旅人としても有名。そんな芭蕉庵があったとされる場所の神社を訪ね、芭蕉記念館へ。芭蕉の足跡が分かる。日本橋に住んでいたのに、深川の長屋暮らしという質素な生活になったり、実はおくのほそ道は紀行文の形式をとった文学で、実際の度とは違いがあったりするとか、なかなか興味深い。けど、万人に勧められるものではないかなあ。

 近くの森下には、元祖カレーパンのカトレアがある。という訳で、出来たてをゲット。まだ暖かくて、さくさくな衣がたまらない。素朴な味だけど、やっぱり美味しい。ただ、日曜日は休みなので要注意。

 新大橋を渡り、日本橋川にかかる鎧橋を渡ると兜町はすぐ。楓川沿いを走る。とはいっても、今は埋められてしまって首都高になっているが、橋達はまだ現役。親柱も残っているし、アーチ型になった道路が端であったことの名残になっている。京橋川との合流地点付近に架かるのが弾正橋。今では水ではなく車が下を流れているが、橋は健在。

 次は三十間堀川沿い。第二次世界大戦で焼け野原になった銀座のがれきを埋めて作られた道路を走る。唯一残された三原橋、と言っても今は地下街になっている上を通り、築地川の跡へ。途中、黒川紀章の代表作の一つ、中銀カプセルタワービルの脇を通り、貨物線跡へ。築地へ食料を運んでいた線路の跡で、入口に踏み切りが残っている。当然、抜けると築地市場

 海軍兵学校跡を眺めた後は、汐留を通って三田へ。今日は愛宕山ヒルクライムはなし。車町河岸跡にも寄らずに広尾を通って六本木へ。今六本木ヒルズがある辺りは低い土地で沼もあったらしい。明治の初めまでは湧き水が豊富で金魚を育てていたらしいし。そんな土地を埋め立てて丘にしてしまったのが六本木ヒルズ。どうりで、回りの景色と調和しない訳だ。さくら坂が出来た事で埋められてしまった階段を見つけて楽しむ。

 最後は陸軍跡であり、戦後は防衛庁があった現在の新国立美術館東京ミッドタウンへ。新国立美術館の隣には青山公園があり、米軍基地の一部であるヘリポートが見える。そして、新国立美術館東京ミッドタウンを結ぶ道路は、陸軍時代に作られた、立派な石垣作りの道路だったりする。来ている人は誰も見てないと思うけど。檜町公園で今回もポタは終了。

 さて、帰るか。すっかり時間が遅くなってしまった。銀座付近のルートを再確認してから帰宅。すごく疲れたのは、ルート確認に専念して全然補給しなかったのと、適切な高さまでサドルを上げられないママチャリで走ったせいだな。信号ダッシュで時速35kmまで一気に加速とか、アホな走り方をしすぎたか(笑)