江東区をポタ

hiroakim2011-10-10


 昭和の中頃まで、都内はたくさんの都電が走っていて、専用軌道を走っていた区間は緑道として利用されていたりする。という訳で、江東区の南砂を走っていた城東電気軌道の跡へ行ってみる事に。

 という訳で、まずは中川沿いに南下してみる。もちろん、荒川放水路も新中川もなかった時代の地図を見ながらぶらぶらしているので、当然道は違っていたりするが。まず気になったのは、青龍神社という文字。行ってみると、そこには沼があり、湖畔に小さな祠が。明治時代の地図にはすでに沼があるので、かなり古い時代からあるのだろう。

 新中川との分岐で少し回り道をさせられるが、引き続き左岸を下流へ。環七と交差する付近は、昔の堤防の名残が残っていて、環七の外側にはみ出すようにぐるりと回る道が続く。そんな土地は公園になっている事が多いようだ。やっぱり建物を建てるには向かない土地なんだろうか。荒川放水路に行く手を阻まれる。平井大橋を渡って旧中川へ。

 旧中川は両端を水門で区切られ、もはや川としては機能していない。そのおかげで、水面近くまで下りられるようになっていて親水公園として機能しているようだ。川岸は未舗装だが、引き締まっていてMTBじゃなくても十分走れる。いくつもの橋の下をくぐり抜けていく。もちろん、都営浅草線の駅の下もくぐる。橋にホームがあるって、変わってるよなあ。

 荒川と合流する所まで来たので、中川大橋を渡って荒川へ。昔はここに木製の船堀橋が架かっていたらしい。う〜ん、そんな面影はどこにも残ってないな。地図を見ると、川の両端には道路が残っているが。さらに南下して、昔の海岸線へ。この辺りは運河がたくさんあった地域だが、役目を終えた今では埋められて親水公園として残っている場所もあったりする。

 という訳で、ようやく目的の緑道に到着。非常に目立ちにくい場所に看板があり、都電時代の事が書いてあり、車輪が置かれていた。JRの跨線橋には、今でも城東電軌の文字が。都電ですらないというのは、作られた当時の名称を変えていないからか。でも、自転車と歩行者しか通らないのに、ぶつかって壊す人はいないよな。そんなやついたら、きっと人間じゃない(笑)

 次の目的地もそれほど遠くはなかった。運河沿いに走ると到着。この遊歩道は、やっぱりこの橋のために残してあるんだろうか。東京でもっとも古い鉄製の橋、八幡橋。今の京橋ジャンクション辺りに架かっていた三ツ橋のひとつ、弾正橋である。今でこそ幅の狭い人道だが、当時は道幅も広く、木製の橋ばかりだった明治時代の東京ではモダンな橋だった事だろう。人力車が行き交っていた光景が目に浮かぶ。

 せっかくなので、前方に大きく見える東京スカイツリーに立ち寄ってから帰る事に。近づくにつれて、だんだんとその巨大さが分かってくる。相変わらず、一目見ようとする観光客が絶えない。この建物も、いつの日か役目を終えて歴史的な建造物として保管される日が来るのだろうか。