銀座で川の跡を探す

 最近、マニアの間で密かなブームになっているらしい、暗渠や川の跡を探し。古地図がインターネットで簡単に見られるようになったというのもあるのだろうか。そんな訳で、以前から気になっていた銀座周辺を散策していることに。

 まずは晴海通りを日比谷から築地方面へ向かって歩く。少し行くと、東銀座駅の側にある三原橋交差点。地図を見ると、丸い道路が特徴的なので気になっていた。川は埋め立てられたが、橋は残っているという事で有名な場所。確かに、道路を見ると微妙な起伏があり、昔は橋だったという事が分かる。そして、ここの特徴は橋の両側にある建物。これらの建物は地下街への入口を兼ねていて、昔の橋脚が残っているのが見える。つまり、この地下街は昔の川の部分に作られているという事。昭和のにおいがする地下街、何とも言えない風情がある。三十間堀川が戦後にがれきの撤去場所として埋められた時、都電が走るために撤去出来ずに残され、川の跡を地下街として利用したらしい。焼け野原となった大量のがれきが橋の両側に続く道路と建物の下に埋まっているのかと思うと、東日本の地震の東北の今と重なって見える。

 晴海通りをさらに進むと、万年橋。昔は築地川だったところが高速道路になっている。両側が公園になっているので、あまり橋の雰囲気は残っていない。ちょっと残念。次に行こう。采女橋は晴海通り付近から眺めると、橋らしさが残っている。その下が高速道路なので、非常に不思議な景色になっているが。千代橋には欄干などが残っているが、ここも両側を公園としているので橋らしさはいまいち。

 次に向かったのが新尾張橋。この橋は昔の貨物線の跡。なので、入口付近には踏切が残されている。ここもマニアな人には有名か。汐留から築地市場へ向かう線路。昭和の中頃までは、たくさんの食料を載せた貨物列車が行き来していたのだろうか。築地市場が貨物ターミナルだった名残で、建物がカーブして並んでいるというのもよく聞く話だ。今でも新大橋通り、昔の市場通りまでは続いていて歩くことが出来る。この近くには、黒川紀章が設計したメタボリズムの代表作、中銀カプセルタワービルもある。

 今度は新大橋通り築地市場方面へ。市場橋交差点は橋の形跡が残っていない。でも、細長い土地が川の名残を感じさせる。こんな見方をするのは一部の物好きだけか(笑)左側は海軍兵学校だった場所。今は国立がんセンターになっているが、駐車場の入口にひっそりと碑が建っている。よく見ると、高速道路の脇には橋だった頃の名残と思われる柵も。ここが北門だった頃の名残は何も残っていないが。

 明治から昭和にかけての地図を見ながら歩くのは楽しい。次はどこへ行こうかなあ。