谷中村跡を巡る

 今から100年以上も前、足尾にある銅山からの廃水が渡良瀬川に流れて流域に被害が出た足尾鉱毒事件。その廃水を含んだ水が利根川、江戸川に流れ込むのを防ぐために作られたのが渡良瀬遊水地。国は治水のため、としているが、そんな事は表向きの理由というのは誰もが知っている事だ。鉱毒反対運動の中心地でもあった谷中村が建設地に選ばれ、澄んでいた人は安い値段で土地を買い叩かれて追い出された。ただ、村の中心部は水没を免れ、谷中村を避けるハート形の遊水地が作られた。似たような出来事が福島で発生して現在進行中というのは、人は歴史を教訓とすることが出来ない、歴史は繰り返す、という事なのだろうか。

 遊水地の北側には、谷中村の跡が残されている。渡良瀬遊水地の湖畔を走った事がある人なら、きっと木々が多い区域がある事に気づいた事があるだろう。そこが谷中村の跡だ。ただし、湖畔の周回路からは直接行く事が出来ない。50mくらいしか離れていないのに。渡良瀬遊水地の地図にはちゃんと載っていたりするが、実際に近くへ行ってみると入口は分かりにくい。遊水地は国の施設だけど、村の跡は保存会が維持管理しているからか。建っている標識も保存会のものだし。行ってみると、訪れる人も少なく、ひっそりと立つ木々と石碑だけが、ここに村があった事を物語る。延命院跡の片隅に、江戸時代に建てられた庚申塔があった。この村の繁栄と衰退と眺めてきたのだろう。荒れ地に残された墓地が、寂しさを増大させる。

 何も知らずにここへ行っても「ふ〜ん」で終わってしまうんだろうな。もう少し、人目に触れる機会が増え、ここで何が行われたのかが分かるような展示がされるようになって欲しいものだ。